~ 年齢は関係ない!その習慣を見直せば、何歳からでも美肌は手に入る ~
これは、20代からニキビ肌と敏感肌に苦しんだアラフィフ女性のモモさんが、ある一人の医師との出会いで、長年の悪習慣を手放して「スキンミニマリズム」を実践し、他人から褒められるほどの美肌を手に入れるまでの奮闘をまとめた実録体験記です。
その3:赤く腫れ上がった肌をなんとかしたくて駆け込んだ、メディアでも有名な皮膚科から始まった、悲しきクリニックのハシゴ生活。数秒診察で、盛りだくさんの漢方薬と自家処方化粧水、高額なレーザー治療でウン百万円の出費!?
顔中に赤く腫れあがったニキビは、そう簡単には治らないという現実を私に容赦なく突きつけてきました。毎朝、鏡に映るニキビ顔に気分は沈む一方…
社会人になり、20代、30代は見た目も一番輝かしい時期のはず。当時の私の様子をみていた母からも、当時お付き合いしていた彼からも不憫がられ、「どんなにお金がかかっても、治してあげたい」と言わせるくらいに、傍で見ていても、それほどひどかったんでしょう。 「とにかく何とかしなくては」とまず駆け込んだのが、女性誌に何度も取り上げられていたニキビ治療で有名な皮膚科。なかなか、思うように予約がとれず、予約時間に行っても、必ず待たされるくらいに人気のクリニックでした。ここを紹介されたとき、ようやく悩みから解放される!と期待でいっぱいだったことを今も覚えています。
初診の日。
「お願いします」と診察室の椅子に座るや否や、一瞬、先生と目があったくらいで、「ニキビね。まずは漢方薬とビタミンCのローションで身体とお肌を整えましょう。次は1か月後に」と言われただけであっけなく終わりました。問診はほんの数秒。肌を触るどころか、目視された記憶も正直なく、かなり拍子抜けのワタクシ(笑)
それでも、「信じる者は救われる」と思い直し、不味い漢方薬は朝昼晩と欠かさず飲みましたし、クリニックの自家製処方という色気のない容器に入ったローションをせっせと塗り続けて、1か月。 好転する様子も特にみられず、再受診。診察は、初診の数秒の半分くらいで終わりました。「変化がみられないなら、ピーリング、ビタミンC導入かな」と追加の文言と一緒に、また山のような漢方薬と色気のない容器に入ったローションを処方してもらっての帰宅。効いてると自分に言い聞かせるように、赤みが減ったように見えるところを無理やり見つけながら、自分をなだめるように通うこと1年。ニキビは鎮静する箇所もあれば、また新たにできる箇所もあって、常に“プラスマイナス同じ状態”にしか見えない”という域を推移していました。
たまたま仕事の都合で次の予約がとれなかったことで、自然とそのクリニックからは足が遠のいた頃、おせっかい友人の勧めで、彼女いわく凄腕というクリニックへ。最初は二の足を踏んでいた私の背中を押したのは、「絶対に綺麗に治してもらえるよ」という彼女の一言でした。
藁をもすがるという言葉がありますが、当時の私はそのもの。「治してくれる人」を心の底から求めていましたから、再びクリニック通いの生活がはじまりました。そこでも、処方内服薬に、医療機関専売の化粧水。ニキビ跡のクレーターや、色素沈着にも治療が必要だと言われ、レーザー治療も。今でも、ニキビ跡は綺麗に治らずに残っていますので、当時の機材では限界だったのかもしれません。ここでも、半年以上通ったので、結構な出費になりました。
その後も、ニキビはまるでバイオリズムがあるかのように、赤みが少しひいては、ひどくなりを繰り返し、そのたびにクレーターも増え続ける始末。。。。自力では治せないのは分かっているので、ひどくなる都度、近所の皮膚科に通ったり、メディカルエステが併設されたクリニックに2年以上通い続けたりと、とにかくクリニックをハシゴしました。
有名なメディカルエステでは、ピーリングでひどい目にも合いました。
「今日は少しピーリング剤を強めておきますね!この方がニキビ肌には効果的なんです。おそらく、問題ないですよ」とエステティシャンから言われ、「ん?おそらく?誰がピーリング剤を強くしていいって言ってるの?先生の判断?アナタの判断?」と頭には疑問が湧きつつも、言えない雰囲気に渋々承諾したら、案の定、大変なことに。エステティシャンのおっしゃる通りに施術されたものの、帰りの電車のなかから、肌に灼熱感。とにかく熱い。ふと見た、電車の窓に映る私の顔は、真っ赤に腫れ上がっていました。さっきからすれ違うたびに、なんだか人の目線を感じていたのは、この顔のせいだったのかと納得するくらい、まるで火傷のように、すごい状態でした(笑)
2日間はヒリつきと赤みがひかず、その後、全顔かさぶただらけになり、それがすべて剥がれおちるまでの1週間。ヒリヒリ⇒ごわごわ⇒パサパサ⇒ぽろぽろという順にやってくる悲惨な症状と闘う羽目に。当時、会社員だった私は、発症翌日しかお休みが取れず、とにかく肌をメイクで隠して出社していました(笑)
今でこそ、笑い話にできますが、当時は本当に苦しかったですね。クリニックに通ってお医者様から言われた通りに、いろいろやっても結局ニキビ肌は治らないんだという絶望と、そのために支払った金額は到底見合うものではありませんでした(汗)ここまでの支出トータルは、すでに数百万円にのぼっていました。ついでに、ピーリング恐怖症は、今もまだ完治していません(笑)その頃から、クリニックという存在が信用できなくなり、お医者様ならば、誰でも治してくれるというのは間違いだったということに気づいたのです。当時、私のお肌を「治してくれる人」はいないのだと、半ば、自分の置かれた状況を諦めはじめていました。。。
その4に続く
著者/モモ(40代後半)
高校卒業後18歳から肌トラブルに悩み、20年以上、苦しみ続けた経験をもつ。“美容好き”という訳ではないのに、肌トラブル(主にニキビ肌)が原因でコスメ不倫を続けて40代を迎え、ひとりの医師の一言で、スキンケアの習慣を変えたことで苦悩から脱出。トラブルのない美しい肌は何歳からでも手入れることを実感した自身の経験から、嘘偽りのない「スキンミニマリズム体験記」を記している。今では「ミニマルを追究し続けたスキンケア化粧品」の企画・開発に携わる一方、「スキンミニマリズム」の普及活動に注力している。