~ 肌改善は誰でもできる小さなことの積み重ね ~
Prologue
人の第一印象は、出会ってほんの数秒で決まってしまうと言われています。またその時、好きか嫌いかを判断するのに、9割が視覚情報に頼っているとも言われています。人に良い印象を与えるためには、清潔感のある身だしなみをしていることはもちろんですが、いかにも不健康そうで荒れた肌、疲れている表情、そしてどこか自信がなさそうなおどおどした振る舞いをしていると、決して良い印象にはつながらないでしょう。
最近では、メンズコスメの需要が高まりつつあり、男性も健康的できれいな肌になりたいという方が増えてきました。かつては「肌なんて、なにもしないのが男らしくてカッコいい」という風潮があったかもしれませんが、それはもはや時代遅れ。性別を問わず、自信の持てる肌を手に入れたいという想いは、時代の変化とともに、“当然のこと”のようになってきました。
年をとってくると現れてくる肌の悩みもありますが、アトピーを持っている人はそれ以上に大きな悩みの種になることでしょう。子供の頃にアトピーだった人が、大人になって自然に治っていく人もいるでしょうし、病院で薬を処方してもらって、短期集中的に治った人もいるでしょう。もちろん人によって様々なケースがあると思いますが、アトピーが完全に治るには、数年単位で時間がかかる場合も少なくないのではないでしょうか。
長い間アトピーと共に暮らしていると、いつの間にか薬の使い方がルーズになってしまったり、化粧品で代用できそうな時は自己判断で使ってしまったりと、心当たりのある方は多いことでしょう。しかし、その横着な行動が肌荒れの悪循環を招いたり、アトピーの完治を遅らせるなど、意図せぬ結果を招いてしまうものです。
これは、小学生の頃から約20年間アトピー疾患の悩みを抱えながらも、市販の化粧品をかたっぱしから試して、さらに肌荒れを悪化させてしまった男性が、悪習慣を断ち切って「スキンミニマリズム」に辿り着き、自信を取り戻すまでの戦いをまとめた実録体験記です。
その1:血塗られた恐怖の子供時代
と、出だしからまるでホラー映画のタイトルですが、怖い話ではありませんので、あしからず…。アトピーの方なら、「そうそう!」と仰っていただけるかと思いますが、アトピーの肌はちょっとしたことで傷が開いて血が出てしまいます。そういうお話です。
思い起こせば、自分がアレルギー体質であること、アトピー性皮膚炎であることが分かったのは、小学生の頃。アレルギーのテストを受けて、原因となっている物質は、埃やダニなどのいわゆるハウスダスト、そして動物の毛であることが分かりました。例えば、家族旅行で旅館に泊まったとき、仲居さんに布団を敷いてもらった瞬間、咳はでるわ、目はかゆくなって充血するわ、鼻水が止まらないわと、体調が一変して、せっかくの旅行も楽しむことができないほどのアレルギー体質でした。アトピーが出始めたのも同じ頃で、特に指やひじなどの関節部分がひどく、無意識に肌を掻いては血がでてしまっていたので、病院に行ってステロイド剤を処方してもらうことになりました。
このステロイド剤というのがなかなか面倒なもので、透明な塗り薬と、その上から重ね塗りする白い軟膏の2種類の薬を併用して使うのですが、白い軟膏がすごくべたべたしているので、塗った後はガーゼであてて、包帯でぐるぐる巻きにしなければなりません。朝晩、薬を塗らなければならなかったので、学校に行くときも手が包帯でぐるぐる巻きの状態です。当然クラスメートからは、「どうしたの?ケガしたの?」と心配されます。ただ、当時の自分はなんとなく「アトピーなので」と答えることに恥ずかしさを感じて、いつも「いや、ちょっと肌が荒れて…」ですとか、「ちょっと切れちゃってねー」なんて言い訳をしていたことを覚えています。周りからみたら、いつもどこかをケガしている謎の存在、と見られていたかもしれません。
この包帯ぐるぐる巻きの薬はかなり効果があり、しばらく続けて症状が治まってきたら、重ね塗りの軟膏はやめて、透明の塗り薬だけを使うようになりました。これは、お医者さんにそうしても良いと言われたので、指示に従った使い方です。それでも普通に生活をしていると、また症状が悪くなったりしますので、様子をみながらひどい時にはステロイド剤を使い、落ち着いている時はステロイドではない薬ももらっていたので、そちらに切り替えてを繰り返していました。
当時はまだ子供でしたし、アトピーを治すことにどこまで専念していたかというと、それほど本気ではなかったように思います。それよりも関心の対象は、友達とサッカーしたり、プラモデルを作ったり、マンガを読んだり、ファミコンで遊んだりと、とにかく遊ぶことで頭がいっぱいでした。薬は、塗っていないと親から怒られる面倒くさい作業のようにしか考えていなかったように思います。
そうしているうちに小学校高学年になり、部活というものに興味をもち、バスケットボールを始めました。なぜバスケなのか?それはバスケットマンは女子にモテると思ったからです。
そうすると、包帯ぐるぐる巻きでは練習になりませんので、なるべく重ね塗りはしないで、弱い薬だけでごまかし続けるようになりました。それでも、ボールを触っているとすぐに指が切れて血が出てきてしまうので、絆創膏を貼りながら練習しました。
特に冬場は乾燥で手がガサガサになり、大変でした。こぶしを握ると、指の外側が横方向に切れてしまいますし、手をひらくと今度は指の内側が縦報告に割れます。バスケットボールの練習は楽しかったので相当打ち込みましたが、物理的に手をたくさん使うとアトピーは悪化してしまうという、練習と薬とで常にアトピーの状態は一進一退を続けていました。 そんな生活を2~3年も続けていると、常に手に傷があるのが当たり前、といった感覚になっていったように思います。
中学生になった頃、家にあったピアノをうまく弾けるようになりたいと思い、ピアノの練習も始めました。これも動機は簡単!ピアノが弾けると女子にモテると思ったからです(笑)
どうしてこうも手先を使うことに興味が惹かれるのでしょう。でも一度やりたいと思ってしまったら止まらないものです。バスケットボールに加えてピアノの練習も頑張りましたが、やはりここでも流血が。練習の後には白い鍵盤の上に、何かを引きずった後のような血痕が残されます。最後にお掃除して練習終了です。 ピアノの鍵盤は、側面が木になっていますが、こういうところに血が付くとなかなか取れず、黒いシミになって残ってしまいます。母が大事にしていたピアノを汚してしまって、当時、いつも「母さん、ごめん…」と心の中でつぶやいていました。
何をするにも手が割れてすぐ血が出る、まさに血塗られた生活をしていたのが少年時代でした。しかし、これは長いアトピーとの戦いの序章に過ぎなかったのです。
その2に続く
著者/ユズル(40代前半)
幼少期からアトピー性皮膚炎に悩み、約20年苦しみ続けた経験をもつ。きれいな肌になりたいという関心はありつつも、自分にあった化粧品を探す迷い子に疲れ、挫折しそうに。健康は内面から作られることを思い出し、食事、生活、化粧品で余計なもの、過剰だったものを徹底的に排除することで、ミニマルな生き方に辿り着き、マイナス10歳は若く見られる肌を手に入れることに成功。今では「ミニマルを追究し続けるスキンケア化粧品」の企画・開発に携わる。
これまでの習慣を見直して、美しさを手に入れる。ミニマルに拘り、ジェンダーも年代も問わず使用できるスキンケア化粧品「BABY PEPTIDE」